【 それは突然に 】
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【それは突然に =想いの自覚=】


頭の中が混乱している。

一体、何が起きたのか、色々な事が一変に起きたことで
収集がつかず、整理できない。

無意識に手と足が勝手に動き、何も考えられないまま、
気がつけば、社会科準備室の扉の前に居た。

そして、自分の意志とは別に、手が勝手に
扉に伸びて、開いたと同時に、扉の向こうから
梨江が飛び出して来た。

「早紀!!」


目の前にいる梨江の姿が、脳が混乱しているせいなのか
初めて会う他人のように感じる。

梨江の焦った姿を横目に、何事も無かったように
脇を素通りし、とりあえず部屋の中に入る。

「さ・・・、早紀・・・?」

私の名前を呼ぶ、この人は、誰だっただろう。
そんな事が頭の中をかすめながら、無言で自分の席に座り
無意識に、机の書類に目を通す。

「ちょっと早紀! ねぇ、聞こえてる? 早紀?!
 どうしたの? ねぇ、何があったの??」

何があったのかと聞かれ、手が止まる。

何があったのだろう・・・。


そうだ・・・、私は高瀬さんに呼び出され、家庭科準備室へ行った。

そして・・・、あぁ、そうだ、補習のはずが、相談があると言われ・・・

「ねぇ、早紀? 早紀っ!」

肩に梨江の手が触れたその瞬間、
脳裏に、女子生徒に抱きつく梨江の映像が脳裏に浮かんだ。


── バシッ!!

「えっ・・・?」

触れた梨江の手を叩いて振り払った。

「植村先生、辞めてください。」

「さ・・・、早紀・・・?」

自分の発する声が他人の声のように耳に反響している。
とても冷静に、とても冷淡な声。

「あなたには失望しました。もう、私に関わらないでください。」

「えっ・・・。」

「私が何も知らないと思っているんですか。」

「な・・・、さ・・・、早紀・・・、なにを・・・言って・・・。」

「あなたが、どんな恋愛をしようが、私には関係ありませんし、
 口を出すつもりもありません。
 ただ、私には理解できませんので、もうあなたに関わりたくありません。」

「えっ・・・・。」

吐き捨てるように言葉を発した後、自分の荷物をまとめる。

「もう、あなたと仕事以外の事で話すつもりもありません。 失礼します。」

この場に居るのが落ち着かず、私はいち早く部屋を出たかった。
自分の鞄を片手に取り、梨江の脇を通り抜けようとした時、

「ちょっ、ちょっと待って! 早紀!!」

梨江に力強く肩を掴まれた。

「やめてください!! 離して!!」

梨江の顔を見たくない。
私の胸の中が言いようのない不快感で埋め尽くされる。
脳裏に、梨江が女子生徒に抱きつく映像が繰り返し浮かぶ。

「早紀っ! お願い! 話を・・・!!」

─── ヤメテッ!!

バシッ


「いっ・・・」

思い切り、梨江の頬を叩いた。

叩かれた左頬を片手で押さえ、梨江が呆然としている。
私の右手はジンジンと痛みがはしっている。

呆然とした梨江を見つめながら、自分の頬に、何か冷たい物が流れ落ちていく。

「もう、私に構わないで・・・。」

私は走るようにして、部屋を飛び出した。


胸が苦しくて、痛くて・・・、とても悲しくて。
学校を出る前に、職員用のトイレに入り、自分の鏡を見て、
始めて、自分が泣いていた事に気がついた。


梨江は、生徒と付き合っていた・・・。

その現実を突きつけられ、自分は梨江にからかわれていた事を知った。

梨江に突然キスをされて、舞い上がっていることを知られ、
おもしろ半分にその気にさせられていた自分。

キスをする時の優しい梨江の眼差し、
抱き締められた時の暖かいぬくもり、

自分に向けられていたものが、愛情だと思い込んでいた浅はかな自分。

自分だけが何も知らず、勝手に梨江への気持ちを高ぶらせていた。

悲しかった。

ただ、ただ・・・、悲しかった。


皮肉な事に、裏切られて初めて知った。

私は、梨江の事が好きになっていたことを。

私は、梨江に恋をしていたことを。




それから、携帯に何度も梨江からメールや電話がかかって来たが
全て着信拒否に設定した。


学校では、梨江の居る社会科準備室には向かわず、
職員室に常駐することにした。

他の先生からは、珍しいですね?と聞かれる事もあったが、
職員室に梨江が来る事はほとんどなかった。

極力梨江と会う可能性のあるだろう通路を使わず、
お昼も、職員室で取るようにし、帰宅の時間もずらすようにした。

そして、次の水曜日、高瀬さんと約束の日が来た。

しかし、その日は職員会議が長引き、30分ほど約束の時間から遅れてしまった。

会議中だったため、携帯にメールする事も出来ず、
慌てて家庭科準備室へ向かった。


梨江への気持ちを整理できた訳ではなく、
ましてや、高瀬さんの気持ちに応えるつもりもない。

ただ、あの画像が流出することで、梨江が学校を追い出されるような事だけはしたくなかった。
この気持ちは、恋心とは別の友情や同僚への想いだと自分に納得させる。

急いで家庭科準備室に入る。

「ごめんなさい、職員会議が長引い・・・・」

部屋に入ると、高瀬さんが机に伏せながら寝入っている。

起こさないように、そっと近づく。


彼女は目に涙を浮かべながら寝入っていた。

(遅れて来たから、私が来ないと思って泣いていたのかしら?)

悪いことをしたと思い、彼女の髪にそっと手で触れ頭を撫でると

「ぅう・・・ん・・・・。」

起こしてしまったかと思い、手をそっと外すと

「・・・・か・・・な・・・」

高瀬さんが小さくつぶやいている。

何か辛い夢でも見ているのかと思い、耳を澄まして聞いてみる。

「・・・・か・・・、か・なで・・・。」

ん?

かなで? かなでって・・・?

どこかで聞いた事のある言葉だった気がする。

誰だったのか、思い出せない。


思い出そうとしていたその時、

「はっ! せ、先生!! ごめんなさい!!」

高瀬さんが起きてしまった。

「いえ、こっちこそ遅れてしまったから。
 職員会議が長引いてしまって。待たせてごめんなさいね。」

「いえいえ、来ていただいただけでも嬉しいです。
 もう、先生が来てくれないんじゃないかって思ったから・・・。」

「これない事が分かっている時は、前もって連絡するわ。」

「良かった・・・。」

ホッとした表情を浮かべる高瀬さん。
まだ高校2年生であどけない顔をしているが、とても綺麗な顔立ちをしている。

「で、こうして来たけれど、話をすればいいのかしら?」

「先生、随分と義務的な言い方をするんですね。」

「あっ、ごめんなさい・・・。そういったつもりじゃ・・・。」

「いいんです。 私は先生とこうして、話が出来るだけで嬉しいですから。」

そう言いながら、可愛らしい笑顔を浮かべる彼女。
その後の会話の内容は、本当にたわいもない物だった。

趣味について、よく見るテレビ番組について、
集めているものや、来ている洋服のブランド。
読む本のジャンルや見る映画のジャンル。

世間話程度の会話で、それ以上でもそれ以下でもなかった。

手に触れる訳でもなく、キスをせがまれる訳でもない。
ただ、向かい合っての雑談。

この程度の事で、彼女が喜ぶのであれば、それでもいいと思った。

梨江の時とは違う・・・。

やはり、大人と子供の違いなのだろうか。

そう思った時、ふと、さっきの高瀬さんがうわごとで言った名前が脳裏に浮かんだ。

かなで・・・、奏?

確か、高瀬さんの親友で、梨江と付き合っている生徒の名前だったような?
でも、どうして高瀬さんは、泣いていたのだろう?

そんな疑問が脳裏に浮かんだが、口には出さなかった。
そして高瀬さんと過ごす時間が過ぎていった。

翌週、そしてまた次の週と、高瀬さんとの時間を過ごしながら、
梨江との距離は次第に開いていった。

高瀬さんと過ごす時間が増え、高瀬さんがいくら私の事が好きだと言っても、
私が高瀬さんにそういった感情を抱く事は無かった。

ただ、高瀬さんと話をする時間は、最初は梨江の映像が流出しないようにという
義務的なものだったが、一緒に過ごす時間が増えるにつれ、歳の離れた
妹と話をしているような感じがしてきて、梨江との関係で空いた穴を
埋めてくれるような、そんな穏やかさを感じるようになった。

そうして、初めてあった日から1ヶ月が過ぎたある日、
高瀬さんから、ある質問をされた。

「先生は、前に気になる人がいるっていってましたけど・・・」

「えっ? あぁ・・・、そうだったわね・・・。」

「その人の事、まだ好きですか?」

もう1ヶ月以上会話をしていない梨江の顔が浮かぶ。

「その人は、別に付き合っている人がいることが分かったの。」

「えっ? そうなんですか?」

「えぇ、だから、もう忘れる事にしたの。」

「先生? 聞いてもいいですか?」

「何?」

「先生は、その人のどんなところが好きでしたか?」

「そうねぇ・・・・。」


言われて思い返してみる。

私は、梨江のどんなところが好きだったんだろう。


きっかけは、シュークリームの時のキス。
そこから意識して、梨江の部屋に泊まりに行って。
抱き締められて、熱いキスを交わして。

それから、いつも梨江が側にいて。
優しい眼差しで見つめられ、抱き締められると嬉しくて。

帰りに送ってくれると言い出して、
予想外に、一緒に過ごす時間が増えて嬉しかった事。

いろんな事を思い出す。

梨江の私を見つめる優しく熱い眼差しが、嘘だと思いたくはなかった。

「せんせい・・・、泣かないで・・・。」

「えっ・・・?」

気がつくと、涙が両頬を伝い流れ落ちていた。

「ごめんなさい・・・。」

慌てて涙を拭こうとした時、高瀬さんに手をそっと止められる。

「先生、その人の事まだ・・・。」

「どこがどう好きかって聞かれると困るんだけど・・・」

「ずっと、ただの友達だって思っていたの。
 でもね・・・、ある日・・・・。」

「えっ?」

「それは突然に・・・、恋に変わってしまったの。」

「先生・・・。」

「ごめんなさい・・・、私、まだ好きみたい・・・。」


私が泣きながらそう言うと、高瀬さんは私の手を取り私を抱き締めた。

「ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・先生・・・。」

何度も何度も、謝る高瀬さんの胸の中で、
私は久しぶりに梨江を想って涙を流した。

その時・・・


─── ガチャッ


不意に、後ろ側にある家庭科準備室の扉が開いた。


えっ?

振り返ると、そこには居るはずのない梨江が立ちつくしていた・・・・。


=END=








────── 早紀が飛び出していった後の梨江


一体何があったっていうのよ!!
痛いったらありゃしない。

これも、奏の仕業ね。

さっきもらったばかりの名刺が役に立つのが腹立たしい。
これも、奏の計算のうちってことね。

全て、奏の手のひらで踊らされているのが悔しいけど
けれど、今は奏を問いただすことしかできない。


「もしもし? こうなることが、あなたの狙いなの?」

「早速電話してきていただけるなんて、嬉しいですね。」

「奏、あなた、早紀に何をしたの!」

「私は何もしていませんよ? それに、坂口先生の身には何も起きていないはずです。」

「嘘よっ! 早紀は私の顔を見るなり、飛び出して帰ってしまったわ。」

「あら、そうなんですか?」

「早紀の身に、何か起きたとしか考えられないわ。」

「そうでしょうか? 坂口先生、何かおっしゃってませんでしたか?」

「何かって・・・。」

早紀が何を言っていたのか、思い出してみる。

”あなたが、どんな恋愛をしようが、私には関係ありませんし、
 口を出すつもりもありません。
 ただ、私には理解できませんので、もうあなたに関わりたくありません。”


「ま、まさか・・・、あなた、渚との事を・・・。」

「さぁ? 私は何も言っていませんけどね。」

「一体誰なのよ! 早紀に近づいている子は!!」

「さぁ?」

「もういいわ。あなたにはもう聞かない。」

「そうですか。 それでは、もう私には用事はありませんね。」

「えぇ、と言いたいところだけど、一言だけ言わせてもらうわ。」

「何でしょう?」

「全てが、あなたの思い通りに行くと思ったら大間違いよ。」

「おっしゃりたい事は、それだけですか?」

「あぁ、それともう一つ。」

「何でしょう?」

「私は、早紀を愛してる。誰にも渡さないから。」

「そうですか。 坂口先生もそう思ってるといいですね? ウフフ・・・。」

「もう、あなたに電話することはないと思うから、じゃっ!」


言うことだけ言って、電話を一方的に切った。
あの奏の自信は一体どこから来るのだろう。

それに、一体、早紀は、何の話を聞かされたのだろう。
まずは、早紀に全てを話し、誤解を解くことから始めなければ
全ては、奏の思い通りになってしまう。


携帯で、何度も早紀に連絡を取ってみるが、電話が繋がらない。
メールも届かないで戻ってきてしまう。

明らかに、着信拒否されている。

今は、何を聞かされたか分からないが、きっと頭に血が上って
冷静に話が出来る状態ではないのかもしれない。

そう思い、しばらく時間を開けてから、接触を試みようとした。
けれど、その考えが甘かったことを、後で思い知らされる。

早紀が私との接触を一方的に全て拒絶し始めた。

社会科準備室に来ることを拒み、2人きりになる隙がない。

一体どうすればいのか・・・。

私は、奏の友人関係を調べる事にした。

これだけ綿密な計画を立てるには、よっぽど親しい存在でなければ
うまく進められる訳がない。

奏の担任から、奏の交友関係を聞き出してはみたものの
これという人物が浮かんでこない。

奏は、良くも悪くも交友関係が広く、絞り込めないのだ。
しかも、私が先生を使って、交友関係を調べることくらい、
あらかじめ予測をしてると考えると、担任から聞いたことで
出てくる名前は、逆に全員シロと考えるべきだろう。

水面下に隠れて、それでいて、奏と強い絆で結ばれている友人。

おそらく、共犯は一人。

私は必死にその一人を捜した。

しかし、一向に手がかりはなく、ただ無駄に1日1日が過ぎていく。
職員室にいる早紀の後をつけようともしたが、
決まって、そういう時、邪魔が入った。

他の先生からの呼び出しがあったり、生徒が社会科準備室に
押し掛けてきたり。偶然なのか、奏の仕業なのか。

周り全てが、敵にさえ見えてくる。

こういう疑心暗鬼さえ、奏の思惑なのかと深読みをしてしまう。

時間が過ぎれば過ぎるほど、早紀との距離がどんどん広がり、
もう、前のように話すことさえできなくなるのかと不安になる。

早紀に全てを話そうと何度も思った。

けれど、奏の思惑を全て把握しないと
話したところで、全てが解決しない。

一体どうしたらいい・・・・。

毎日、無駄に時間が過ぎて行き、1ヶ月が過ぎてしまった頃、
学校へ行き、社会が準備室の机に行くと、自分の机上に
一通の手紙が置いてあった。

名前は書いていない。

封を開けると、中に1枚のカードが入っている。

カードを見ると、一言書いてある。


”水曜日 16:00 家庭科準備室 ”

あからさまな、呼び出しのカード。

十中八九、罠の臭いがするが、動かずには何も進まない。

書かれた日時に、指定された場所へ向かった。

家庭科準備室のドアの前に立つと、ドアの向こうから人の話し声が聞こえる。


(・・・・・わたし・・・好きみたい・・・)

(・・・・先生。)


早紀の声と生徒の声。

勢い良く開けたドア向こうで目にしたものは・・・

知らない生徒と早紀が抱き合っている光景だった。


= つづく =
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